秋田魁新報「さきがけ新聞」2023/7/23朝刊より
地方から都会へ働きに出る時代がありましたね。「金の卵」と言われたりしたね。ちなみに私の親世代だったと思います。(●^_^●)
由利本荘市出身の種澤さん(77)さんは、子どもの頃から物づくりが好きだったそうです。彼は「旧本荘中」で学んでいました。現在の「県立本荘高等学校」です。私の大先輩になります。そして、東京の家具製造会社からの求人を見て、就職への思いが強くなったそうです。
「父には反対されたが、押し切って中学卒業後に入社した。最初はたんすとかテーブルを作ると思っていたら、配属されたのが椅子の製造部門だった。」
秋田魁新報「さきがけ新聞」2023/7/23朝刊より
入社して1年ぐらいで会社が立ち行かなくなってしまいます。
椅子製造部門が別会社となって存続したおかげで失職せずに済みました。これは運命ですね。彼は、そこで設計や製造の腕を磨き、官庁や大手百貨店から受注した製品にも携わります。
そして、約20年勤めて独立します。
1983年(昭和58年)に「種沢製作所」を創業!
座り心地の良さを意識してオーダーメイドや、メーカーの受注に丁寧に対応するうちに、品質の良さが評判になります。ここポイントですね。(●^_^●)
次第に名だたるホテルからも注文が入るようになり、ロビーやレストランで使う重厚感のある椅子やソファを手がけ流ようになります。
新規の製造のほか、張り替えも行います。
「自分がいいと思って作っても、お客さんが納得しないこともある。対話をしながら希望のものに近づけていく。そうして完成するとホッとする。やっぱりお客さんに喜ばれるのが一番。」
2018年(平成30年)に現代の名工に選ばれます。翌19年には黄綬褒賞(おうじゅほうしょう)を受けました。全日本椅子張同業組合連合会の理事を務め、全国を巡回して職人の育成にも力を注いでいます。
「年を取ってきたので、若い人たちに技術を継承していきたい。」
また、
「椅子は海外が本場かもしれない。だが、これからは日本の椅子が海外に認められるようにしていきたい。」
私の思い
- 【運命の瞬間は好きなこと】
- どうだろうか? 旧本荘中といえば、地元では進学校として有名です。
- 私も卒業生なので、「就職」クラスは主流ではないという空気感があるのです。
- その中で、「求人が目に留まる。」という瞬間があったはずです。
- その前まで、「大学進学」を目標にしていたのではないだろうか?運命の瞬間だったのではないだろうか!
- 【自らの思いに素直に真っ直ぐ】
- そして、思いが強くなり、父にや家族からは反対された様子が伝わってきます。
- 周りの意見や目、口が沢山あったのではないかなぁ?
- 「今の自分は、周りの人の言葉でできている。しかし、明日の自分は、自分の言葉で作ろう。」
- 種沢さんは、自分の思いに気づき、自分で決めて、自分で行動したのですね。ここ、大きなポイントだと思います。
- 【コツコツやることの大切さ】
- その後、時代は彼の周りで荒れ狂うわけですが、独立しました。
- 彼の言葉にある通り「対話をしながら希望の物に近づけていく。」この姿勢が彼の作品の評価になり、人として要職へと就けさせたのでしょう。
- 決して楽な創業ではなかったと思います。「椅子は海外が本場」という大きな敵が目の前に立ちはだかっているわけです。
- 敵を打ちのめす!より、お客様の希望に焦点を当てたビジネスを貫くことが大切だと教えてくれますね。
- これを「コツコツやる」ということではないだろうか?